匠の蔵~words of meister~の放送

天草陶磁器 内田皿山焼【工房 熊本】 匠:木山勝彦さん
2016年01月09日(土)オンエア
有田焼や清水焼の主原料として知られる良質な陶石の産地、天草で『天草陶磁器』を制作する『内田皿山焼』の木山勝彦さん。昭和45年にタコ壺などを制作していた窯を受け継ぎ、そこで江戸時代の磁器の陶片を発見した木山さんは、以来、有田に次ぐ日本有数の歴史をもつことが判明した幻の窯の復興に尽力。『天草陶磁信仰協議会』を発足し、その会長を務めるなど天草の各窯元と協働しながら、平成15年に『天草陶磁器』を国の伝統工芸品に指定させることに成功する。
「日本のみならず世界的に見ても陶石の産地で、陶磁器の産地ではないのは天草のみでした。それは天草がかつて天領であった為、御用窯として窯が藩から庇護されることがなく、また『島原の乱』の影響により窯が途絶えたことによります。私はそんな天草を再び『陶石の島から陶磁器の島』に戻したかったんですよね。日本の磁器の歴史は1616年に有田の泉山で李参平が陶石を発見したことに始まりますが、私がここで発見した磁器の陶片は1650年頃のモノで、有田焼が創業した数十年後には、天草でも磁器がつくられていたんですよね。それは瀬戸焼や清水焼よりも歴史が古く、その後の研究の結果から有田の陶工が、この天草で磁器を焼いていたことが判明したんです」。木山さんが活動を始めた当初は、天草にある窯元は8窯のみだったが、いまでは約30窯に増え、それぞれの窯が陶磁器の産地の窯として、オリジナリティ溢れる作品を作陶。その中で木山さんは『天草陶磁器』を復興させる為には、当時の陶磁器を再現するのではなく、「時代が求める陶磁器を制作しなければ意味がない」と、客の声を頼りに用の美を追求。全国的にも珍しい磁器と陶器の両方を制作するなど、様々な種類の陶磁器を、その手から生み出している。
「工芸品は元々お客さんに使ってもらう為に生まれたモノですから、やはり作り手は常にお客さんがどのようなモノを求めているのかというアンテナをはっていなければならないと思います。私の窯は磁器と陶器の両方を制作し、種類も多いという特徴を持っているのですが、それはお客さんの『こういうモノを作ってもらえませんか』という声に、一つひとつ応えてきた結果なんですよね。例えば以前、『女性の為の器』というテーマで陶磁器を制作したのですが、それは殆どが男性である作り手と、殆どが女性である使い手との間で、ミスマッチがあるということに気付いたからなんです。そうして女性が使いやすいように軽くするなどの工夫を凝らした器などを制作したのですが、それがいま私たちの主力商品になっています」。ただ当時の焼物を再現するだけではなく、現代の感性を取り入れることも忘れない木山さん。そんな今の時代を生きる人々の生活に寄り添う木山さんたちがつくる『天草陶磁器』は、いまも進化の歩みを止めず、多くの人々の生活を豊かに彩っていた。
「伝統というのは消費者に支持されなければ続きません。『創造なくして伝承はなし』というのか、やはり今の時代に受け入れられる新しいモノを、つくりだしていく努力を続けていかないと、伝統工芸というモノは守れないと思います。それは私の信念ですね」。現在、天草では春と秋に『陶器市』を開催。また積極的に県外で展示会を開催するなど、陶石の産地でもある『天草陶磁器』の名は、徐々に全国に広がっていっているという。
「伝統工芸の世界では、よく後継者不足という声を聞きますが、いま天草の窯元では、たくさんの若い後継者が育っています。そういう意味では天草は全国的に珍しい陶磁器の産地なんですよね。私の代で『天草陶磁器』が伝統工芸品に指定されましたので、次の代がさらに天草を陶磁器の産地として確固たるモノしていってくれると信じています」。そんな木山さんの座右の銘は、自らが『天草陶磁器』と共に歩んできた軌跡を象徴する『継続は力なり』という言葉だった。

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