匠の蔵~words of meister~の放送

2012年総集編2 食編 匠:
2012年12月29日(土)オンエア
2012年に取材した匠たちの輝く言葉を振り返る。今回は食の分野で活躍する匠。まずは、2枚のせんべいを重ね合わせ、その中に上質の砂糖で作った飴を塗る、宮崎・飫肥の銘菓『おきよせんべい』を製造する明治25年創業の老舗店『おきよせんべい 松家』の3代目、小玉和則さん。「『おきよせんべい』は昔から生活に密着していた食べ物で、赤ちゃんの離乳食や、病気の型のお見舞いにも重宝されてきたんですよね。この前も知り合いに、お見舞いで差し上げたら、親族の方から『アレが最後の食べ物だったんです。ありがとね〜』と言われたんですが、その方が生まれて最初に口にしたのも『おきよせんべい』だったんですよね。それは、その方が自伝を出していて知ったことなのですが、1ページ目の3行目に、そう書いてあったそうなんです。私たちは先々代から受け継いで、毎日、同じことを繰り返して作っていますが、やはり続けるということは凄いことだな〜と。今年で120年になりますが、自分1人ではなく、先々代、先代の分も私は背負っているんだな〜というのを感じますよね」。人が口にした最初と最後の食べ物になりうる歴史、そして、先人たちの想いも背負い、今日も飫肥の人々の生活に密着した駄菓子を焼き続ける小玉さん。その背中には、人の一生に寄り添うことのできるモノを生み出すことのできる喜びが溢れていた。続いては、俳人・松尾芭蕉が『奥の細道』へと旅立った頃と時を同じくする元禄2年より、佐伯の土地で味噌や糀を作り続ける老舗糀屋『糀屋本店』の9代目、浅利良得さん。洗米から出糀まで、先祖から受け継いだ昔ながらの製法で、全ての工程を手作業で行い、2007年には江戸時代の古い書物を紐解き、いま大ブームとなっている『塩糀』を復活させる。そうして、簡単で美味しい、全国の糀屋にとって起死回生の万能調味料になるかも知れない『塩糀』の製造方法や『塩糀料理』のレシピなどを本やブログで積極的に公開。健康志向の人の間で口コミで広がり、各地で糀が品切れになる店が相次いでいる。「皆さんから『何でそんな売れるモノを作り方を教えるの』とか『特許や商標を取ったのか』と言われましたが、それを取ったところで、そんなモノは一時的なブームにしかならないんですよね。結局、味噌や醤油などが長く日本人の食文化として続いている理由は、皆が作り方を知っているから。そして、誰もが料理に使えるからだと思うんですよ。ですから、私たちは『糀』を使うという日本古来の文化が残っていく形を作りたかったので、レシピを全部公開したり、こういう風に作るんですよっていう提案をしたりして、ユーザーを増やしていったという訳です。今では『塩糀』を買いに来るお客様よりも、『糀』を買いに来るお客様の方が、圧倒的に多いんですよね」。目先の利益に惑わされず、もともと日本にあった『糀』の文化を復活させたいと願う浅利さん。その眼差しは、浅利さんが思い描く『糀』の未来のように、とても輝いていた。来年も匠たちの輝く言葉を胸に精進していこうと思います。皆さん良いお年を。

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