鹿児島の旬の食材が主役の創作和食会席を提供する日本料理店『旬彩 おごう』の小河之直さん。
鹿児島の老舗料亭や有名ホテルの料理長を経て、平成21年に独立。天文館の一角に自らが一料理人として腕を奮う店をオープンさせる。
「私の父は『男子厨房に入らず』と語るような厳格な性格の人でした。そんな父に反発する気持ちが大きかったのでしょうね。また時代でしょうか、料理の世界に入れば食いっぱぐれの心配がないということで、最初は寿司屋に就職したんですよ。しかし寿司というのは、日本料理の枝葉の一つですよね。いつしか日本料理の全体を学んでみたいという想いが強くなり、和食の道へと進んだという訳です」。その後、小河さんは26歳という若さで、鹿児島の名店の料理長に就任。以来、和の鉄人、中村孝明氏を始めとする全国の一流の料理人たちと研鑽を重ね、鹿児島の日本料理界を牽引するように。
「彼らとの交流は多くの気づきを私に与えてくれました。料理人には技術だけでなく様々な分野に精通する知識も必要です。そのようなことを彼らの料理と向き合う姿勢から学ばせてもらいました」。そうして豊富な経験に裏付けされた知識を武器に、鹿児島の和食の料理人であれば、知らぬ者はいないという存在となった小河さんだが、還暦を前に料理人の終わりは人に左右されることなく、自分自身の意思で決めたいと、ホテルを退職することを決意したという。
「ホテルの料理長の仕事は、献立を書き、スタッフに支持を出したら終わりなんですよ。しかし、ある婚礼料理を担当した時に、新郎新婦から料理の説明をしてくれないだろうかと頼まれたんですよね。当時は『料理の鉄人』ブームでもありましたから。それで私が説明すると、皆様が一斉に料理を覗かれて、一口食べて、隣同士で頷き合う姿が見られたんですよ。これはシメたと思ったら、案の定、食べ残しが殆どなくなったんですよね。婚礼料理は食べ残しがあって当たり前の世界なのですが、キチンと心を込めて説明すると、皆様に最後まで食べて頂けるということに改めて気づいたんですよ。それからはもっとキメ細かく、確実に一人ひとりのお客様の痒いところに手の届くサービスを提供したいという想いが強くなり、人生の最後は自分の店でやってみようと思うようになりました」。ただ口に美味しい料理を提供するだけの仕事に満足できず、より一人ひとりの客と向き合える環境を、料理人人生の最後の仕事場として選んだ小河さん。そうして、それぞれの客に合わせたサービスと味付けで、多くの人々を魅了する小河さんの料理は、その基となる鹿児島の食材への感謝の想いも隠し味となっていた。
「食べ残しがあろうが、お金さえ頂ければ良いと思ってしまうか。食材を絶対に無駄にしないようにと思ってやらせて頂くか。農家の方が一生懸命につくられた野菜一つ、漁師の方が命がけで釣られた魚一匹、どれも自分がコレと思って仕入れ、その食材のおかげで我々、料理人は生かされている訳ですからね」。そんな小河さんが一品一品に込めた想いや、その背景まで丁寧に説明してくれる会席料理は、始めから終わりまでの料理の流れが完璧に計算され、客を飽きさせることがない。
「私がつくるのは伝統料理より創作料理が多いモノですから、初めて食べたと言われる方が多いんですよ。もちろん基本は日本料理ですから、そのモノサシからハミ出さないように心がけていますが、食材を無駄にしないように料理と向き合うと、自然と創作料理が増えていったんですよね」。今後は南北600kmの長さを誇る食材の宝庫である鹿児島の日本料理の水準を、さらに上げていきたいという小河さん。その座右の銘は、親交のある中村孝明氏から教えられたという『一期一味』という言葉。その言葉には、日々、一人ひとりの客、そして一品一品の料理と真摯に向き合う小河さんの想いが凝縮されていた。
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