阿蘇の雄大な自然に囲まれた環境で、自然循環型農業に取り組む『阿部牧場』の代表、阿部寛樹さん。阿部さんは自社のミルクプラントで低温殺菌した牛乳を使い乳製品を製造。2013年に『ASO MILK』のブランド名を冠した牛乳と、飲むヨーグルトが、食の『ミシュランガイド』と呼ばれる『国際味覚審査機構(ベルギー・ブリュッセル)』の食品コンクールで、日本初の三つ星(最高賞)をダブル受賞する。
「牧場は1968年に父が創業したのですが、大学卒業当時、私はデザインの仕事に興味があって、酪農の道とデザインの道のどちらに進むのかとても悩みました。でも絵を描きながら牛を育てることは出来ないけど、牛を育てながら絵は描けると、牧場を継ぐことを決意したんですよ。例え絵が描けなくても経営者になれば、会社のシステムや構成をデザインすることは出来ますからね」。そうして24歳で阿蘇に戻り、酪農家として歩み始めた阿部さんだが、例え牛乳に『阿蘇』という名前を冠していても、本当に阿蘇の酪農家が生産したモノではないという現実を知ったという。
「搾りたてのミルクは“生乳”と呼ばれ、その生乳を殺菌処理して、そのまま飲めるようにしたのが“牛乳”なんですよね。殺菌処理をする為には、莫大な費用のかかるミルクプラントが必要になりますから、酪農家は普通、生乳を大手に出荷して、大手は様々な牧場から集めた生乳をミルクプラントで殺菌処理して牛乳として販売しているんですよ。でも、それではせっかく個々の酪農家が頑張って美味しい生乳を生産しても、一緒くたにされてしまいますからね。それが本当に悔しくて。それからは本当の意味での阿蘇の牛乳を生産したいという想いが強くなり、2010年4月にようやく自社のミルクプラントを完成させ、阿蘇ブランドの『ASO MILK』を作れるようになりました」。阿部さんは日本全国のミルクプラントをもつ牧場を視察し、プラントの中身から設計までを勉強。プラントメーカーを仲介することなく直接下請け企業に発注し、半分から3分の1のコストで自社のミルクプラントを完成させたという。
「牛乳は65℃以上でタンパク質が変質してしまうのですが、普通はそれ以上の高温で2秒から15秒の短時間殺菌を行うんですよ。でも『阿部牧場』では変質しないギリギリのラインである63℃で30分の長時間殺菌を行うんですよ。もちろんそんな低温殺菌は手間暇がかかりますが、そうすると牛乳本来の旨味と甘味を残すことが出来るんですよね。その甘味は温めるとさらに際立つんですが、ホットミルクの試飲をしてもらった時、砂糖を入れてないのに『私、砂糖を入れていない牛乳が好みです』なんて言われたこともある程です」。そんな牛乳は、2013年に酪農の本場であるヨーロッパで評価されることになるのだが、それは阿部さんたちにとって、本当に嬉しい出来事だったという。
「『国際味覚審査機構』の食品コンクールは、目隠しで本当に味覚だけを競うガチンコの大会ですからね。2012年は二ツ星だったのですが、翌年に三ツ星を獲得できて、しかもスタッフたちが加工した飲むヨーグルトでも賞を頂けましたから本当に励みになりました」。しかし、その賞は、何も特別なことをしたからではなく、創業当時からやってきたことを地道に続けてきた結果だという。
「私たちはイイ牛乳を搾る為に仕事をするのではなくて、健康な牛を育てる為に仕事をすると、結果的にイイ牛乳が出来るという考えで、仕事をしているんですよね。それをプラスのサイクルと呼んでいるんですが、健康な牛は如何にして出来るのかというと、イイ草を食べたら凄く健康になるんです。でイイ草はどこから出来るのかというとイイ土から出来るんです。でイイ土は何から出来るのかというとイイ堆肥から出来るんです。でイイ堆肥は何から出来るのかというと健康な牛から作られるんです。ウチの牧場はよく『臭くない』と言われるんですよ。人間だってそうですよね、胃腸が悪い時や体調が悪い時は、そういうモノの臭いが悪くなりますよね。牛乳は臭いにとても敏感な食品で、牧場の中の臭いが悪いと、牛乳も臭くなってしまうんですよ。ですから美味しい牛乳を搾る為の努力ではなく、健康な牛を如何にして飼うのかという努力をしていると、結果的にイイ牛乳が出るんですよね」。それはイイ仕事をしたかったら、まずイイ仕事のできる環境づくりに目を向けるのと同じ。そんな努力のかけかたを間違わず、プラスのサイクルで回る阿部さんの牧場の牛たちは、皆、人懐っこく、生き生きとしていた。
「基本的には牛を常に見てあげることですよね。365日、何があろうとも毎晩、見廻ることを怠らない努力が必要だと思います。そして見る時も、ただ漫然と見るのではなく、具合が悪そうな牛を見つけてあげよう、早く治してあげようと思って意識することが大事ですよね。そんな努力を1回でも怠れば、プラスのサイクルがズルズルと欠けてしまいますからね」。そんな阿部さんの座右の銘は、意外にも『自惚れる』という言葉だという。
「『自惚れる』と言えば、本来は実際以上に自分が優れていると思い込んで得意になるという意味ですが、私はそうではなく、自分の関わるモノに惚れる、自分に仕事に惚れるという意味で捉えているんですよ。自らの仕事に自信とプライドをもって、これからも自惚れながら歩んでいきたいと思っています」。今後は『ASO MILK』を使ったチーズの製造にも取り組みたいという阿部さん。その『自惚れ』から生まれる新たな味にも期待が高まる。
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