匠の蔵~words of meister~の放送

おきよせんべい 松家【せんべい 宮崎】 匠:小玉和則さん
2012年01月21日(土)オンエア
2枚のせんべいを重ね合わせ、その中に上質の砂糖で作った飴を塗る「おきよせんべい」を製造する明治25年創業の老舗店「おきよせんべい 松家」の三代目、小玉和則さん。「この"おきよせんべい"は、私の祖母の小玉キヨが作り始めたモノなんですよね。キヨは明治20年に廃藩で職を失った武士たちの為に開かれた、せんべい作りの職業訓練に参加。さらに工夫を加えて"おきよせんべい"を開発したんですよね。そんなキヨの1日は朝3時に餅米を蒸すことから始まり、足踏み式の杵と臼で、餅をつき始めるのが6時頃。その音が聞こえてくると、近所の人は『おきよさんが起こしている』と目を覚ましたそうなんです。それから誰言うともなく"おきよせんべい"と呼ぶようになったということです」。そうして、三代目に受け継がれた現代も、1枚1枚、丁寧に手焼きで焼かれる「おきよせんべい」、飫肥の城下町ならではの風雅さと素朴な味、そして、歯触りと舌触りの良さから、地元出身の県外の方からの注文も多いという。「先々代の時代からのお客さんも多いので、正直、『当時と味が違うよ』と言われることもあります。当然、同じ材料で同じ作り方をしているのですが、食糧事情が豊かになったこともあり、キヨと同じ味では、どうしてもそのように感じてしまうんですよね。この"おきよせんべい"は私たちだけのモノではなく、お客さんの中にもあるモノなんですよね。ですから、私たちは味を変えずに、梱包技術なども含めて、さらにワンランク上に進化させていく努力を怠ってはならないと思っています」。それは2代目、3代目の前に、必ず立ち塞がる大きな壁。同等だったら前の人の勝ち。何事もそれを超えて初めて引き継いだ...受継いだと言える。「"おきよせんべい"は昔から生活に密着していた食べ物で、赤ちゃんの離乳食や、病気の型のお見舞いにも重宝されてきたんですよね。この前も知り合いに、お見舞いで差し上げたら、親族の方から『アレが最後の食べ物だったんです。ありがとね〜』と言われたんですが、その方が生まれて最初に口にしたのも"おきよせんべい"だったんですよね。それは、その方が自伝を出していて知ったことなのですが、1ページ目の3行目に、そう書いてあったそうなんです。私たちは先々代から受け継いで、毎日、同じことを繰り返して作っていますが、やはり続けるということは凄いことだな〜と。今年で120年になりますが、自分1人ではなく、先々代、先代の分も私は背負っているんだな〜というのを感じますよね」。人が口にした最初と最後の食べ物になりうる歴史、そして、先人たちの想いも背負い、今日も飫肥の人々の生活に密着した駄菓子を焼き続ける小玉さん。その背中には、人の一生に寄り添うことのできるモノを生み出すことのできる喜びが溢れていた。

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