博多祇園山笠でも知られている博多総鎮守・櫛田神社に程近い冷泉町。この町には、その昔、「博多織」「博多人形」に並ぶ、博多を代表する伝統工芸品「博多鋏」の工房が数多く軒を連ね、その技を競い合っていたそうだ。およそ700年前、南宋の帰化人である謝国明が博多に持ち帰った「唐鋏」が原型と言われ、鍛冶に刀剣づくりの技術を用いる事から、その切れ味に定評のある「博多鋏」。寸分の狂いも許されず、しかも型を使わずに造るという製造方法の難しさから、今では、「高柳商店」の4代目・高柳晴一さんが唯一の製造元として、その火を守り続けている。「鋏を作る場合、鋼の最大の硬さを焼き入れで引き出し、折れやすくなった鋼に柔らかい地金をくっつけて防ぎます。日本の鍛冶文化は、耐久性と切れ味の両方をとことんまで追求する所にあるんですよね。これは鋼のみが中心の西洋にはない文化なんです。そんな日本の鍛冶文化の良さが途絶えてしまうのは寂しいけど、残さないといけないという使命感はありません。そんな暇があったら鋏を作ります」。そんな高柳さんは、火作り(鍛冶)から研ぎ(研磨)まで、すべて一人でこなす。しかし、「何十年と『博多鋏』一筋に仕事をしているけど、未だに、その製作工程は確立されていない」と言う。「鋏の製作工程を確立するという事は、やらなけらばいけない事を作る代わりに、やってはいけない事を作る事なんですよ。製作工程を作るって事は、他の工程をしないって事なんですよね。でも、その捨てられた所に鋏が良くなる可能性がなきにしもあらずなんですよね。だから、そこをどうするかというのが難しいですよね」。良いモノを作る為に出来たルール。ただ、そのルールに縛られていては意味が無い。ルールにはノリシロがないと駄目で、そこに もっと良くなる可能性が隠されている。「どこまで行けば極めた事になるのか分からないんですよね。これは良いモノが出来たって時も、ただ単によく出来たな〜と思うだけで、次の日には頭を抱え込んでるんです。世の中には『博多鋏』以外にも色んな鋏がありますよね。その全ての鋏の工程を知ってみたいんですよね。役に立たなくても、そういう色んな他の事を知っていた方が、道は開けるような感じがするんですよね」。実務的な工夫をし続けるは分かる。ただ、何十年と仕事を重ねても、いつまでも好奇心、探究心を忘れない事…そこが匠たる由縁なんだろう。
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