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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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2016年10月2日「そして誰もいなくなった」

「交響曲の父」と呼ばれるのは18世紀のハイドン。
30年近くハンガリーの伯爵に楽団ごと召し抱えられ、数多くの作品を作曲したり、伯爵のために演奏会を催しました。

避暑地に別邸を持つ伯爵は、夏の半年をそこで過ごすため、ハイドンはじめ楽団員たちも単身赴任で別邸に同行していました。
ところがある夏、伯爵は6か月過ぎても帰ろうとせず、別邸生活は8か月目になったのです。
多くの楽団員から家族のもとに帰りたいと不満の声が上がりますが、この時代は封建制度。主君である伯爵に面と向かって苦情を訴えることはできません。

そこで楽長であるハイドンは一計を案じます。
すぐさまひとつの交響曲を作曲し伯爵の前でお披露目したのです。
そして、寂しげなエンディングのメロディに合わせ、オーボエやホルン、コントラバス、チェロ・・・と演奏が終わった順に一人ずつ譜面台の蝋燭を吹き消して退場してゆき、最後は二人のヴァイオリニストだけが寂しげに演奏を続け、消えるように音楽が終わると、その二人も蝋燭を吹き消して去っていきました。
つまりハイドンは楽団員たちの望郷の気持ちを演奏スタイルで訴えたのです。

また、伯爵もさるもの。演奏の意味をすぐに悟り、翌日には楽団員全員に休暇を与え、帰郷させたそうです。

この交響曲はハイドンの死後、『告別』というタイトルが付けられました。