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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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2016年5月22日「生きること」

将棋の世界で29歳の若さで伝説となった棋士がいます。
村山聖。5歳のときから腎臓に難病を抱え、小学生時代はほとんど入院生活でしたが、そのとき出合ったのが将棋です。
めきめき腕を上げ、こども名人戦で4大会連続優勝。
プロになることを決意します。

その村山を弟子として迎え入れたのは 森信雄 七段。
病身の村山と同居し、体調が悪くて動けない彼に代わって雑事や買い物をするなど、周りから「どっちが師匠か分からない」と言われるほど親身な世話をして支えたのです。

昭和61年、村山は17歳にして四段に昇段してプロデビュー。同じく十代でプロになった羽生善治らと共に期待されました。
その頃の口癖は「名人になって早く将棋を辞めたい」。
自分に残された時間が少ないことを悟っていたのかもしれません。

平成7年、村山は八段まで上りつめます。しかし、この頃から病は急激に悪化。それでも苦痛を隠しながら名人戦に向けた対局を続けますが、ついに将棋の世界から去る日が来ます。
平成10年、29歳の村山聖は生まれ故郷の広島の病院でひっそりと息を引き取りました。
薄れゆく意識の中で彼は将棋の対局を思い浮かべ、「2七銀」と呟いたそうです。

その年に発行されていた将棋年鑑の棋士のプロフィールで、「今年の目標は」という質問に村山は「生きること」と書き残しています。