TOPページへアーカイブへ
提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
←(8/16「女性数学者の生き方」)
(8/30「4粒の種から奇跡の復活」)→

8/23「もうひとりのグラバー」

安政6年8月23日、長崎にグラバー商会が開業しました。
代表はトーマス・ブレーク・グラバー。幕末から明治にかけて活躍した実業家です。

グラバーには日本人女性との間に生まれた息子がいます。
トーマス・アルバート・グラバー。日本名は倉場富三郎。
商才に長けて外交的だった父グラバーと比べ、物静かで内向的な性格の少年・倉場にはひとつの葛藤がありました。
それは自分が英国人なのか日本人なのかというアイデンティティです。

父の命により倉場は東京で大学時代を過ごしますが、周りから混血であることをからかわれ、差別を受けます。
ところが再び戻ってきた故郷は違いました。
古くから多様な民族と文化が混じり合った長崎の町では、倉場が英国人だろうが日本人だろうが、そのどちらでもなかろうが、人々は快く受け入れたのです。
倉場は愛する長崎の町が商業と観光で栄えるための事業に力を注ぎ、居留地の外国人からも地元の人々からも人望を集めました。

生涯を長崎で暮らし、74歳で亡くなったのは昭和20年。長崎に原爆が投下された2週間後のことです。
彼の遺言によって遺産37万円が長崎復興のために寄付されました。
現在の貨幣価値でおよそ10億円。
壊滅してしまった故郷に、再び多様な民族と文化が混じり合った美しい町が蘇ることを、倉場富三郎は願ったのです。