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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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3/23「源平の和睦」

山口県下関市で壇の浦の合戦があったのは、平安末期の元暦2年3月24日。
この戦いで平家一門は滅びましたが、その残党が源氏の追っ手から逃れて各地へ隠れ住んだといわれています。

栃木県奥日光の山々を分け入った温泉・湯西川もその隠れ里のひとつ。
この村では伝統的に鯉のぼりを揚げません。
源氏の追っ手に見つからないようにという名残りです。
そうやって密やかに慎ましく暮らしていましたが、昭和後期から湯西川が平家落人の温泉として注目され、大勢の観光客が訪れ、ホテルや旅館が建ち並ぶようになりました。
隠れるように暮らす時代から人を呼び込む時代へと変わったのです。

そこで平成6年に催されたのが、源氏と平氏の和睦。
鎌倉の源氏ゆかりの末裔の人たちを湯西川へ招き、わだかまりを捨てて親睦しようという試みです。

ホテルでの歓迎会で源平それぞれの末裔が初めて対面しましたが、歴史の重みのせいか、最初は緊迫感が漂っていました。
でも宴席を共にするうち次第に和んでいき、酒を酌み交わしながら笑顔で源平の歴史を語り合い、心がひとつになっていきました。
翌日は皆で平家の白旗、源氏の赤旗を掲げながら温泉街をパレードし、式典では双方の代表が和睦書に調印してがっちりと握手。

源平800余年にわたる恩讎は温泉街の湯煙に消えていったのです。