7/1「『かなりあ』発祥の地」
子どもの豊かな空想や情緒を育むために創作された歌―童謡が誕生したのは大正時代です。
それまではわらべ歌や文部省唱歌しかありませんでしたが、大正7年に児童向けの雑誌『赤い鳥』が創刊。
この雑誌に掲載された『かなりあ』という詩に曲がつけられたものが、童謡の始まりとされています。
『かなりあ』を作詞したのは西條八十(さいじょうやそ)です。
西條が作詞家を志したきっかけは、関東大震災での出来事。
彼は倒れた家屋や非難する人々の激しい動きに巻き込まれ、いつの間にか上野の山に押しやられ、そこで一夜を明かすはめになりました。
その夜中、地獄のように燃えさかる火災を眼下に見ながら、恐怖に震えて座り込んでいる人々の中から突然、一人の少年がポケットからハーモニカを出して吹き出しました。
それは思いがけなく美しい音色で、激しい地震と火災に怯え、気が立っていた人々の心に優しく鳴り響き、皆しんみりと耳を傾け聴き入ったのです。
そのときの何ともいえない深い感動から、西條は「自分は大衆の喜ぶ歌を作ろう」と決心したそうです。
いま、その上野の不忍池に西條八十の『かなりあ』の一節を刻んだ碑が建っています。
―歌を忘れたかなりやは 象牙の船に銀の櫂
月夜の海に浮かべれば 忘れた唄を思い出す―
7月1日。きょうは童謡雑誌『赤い鳥』が創刊された日を記念した「童謡の日」です。
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