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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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5/6「対馬の名外交官」

今から405年前の今日―慶長12年5月6日(※旧暦)。
江戸城で、朝鮮の国王から派遣された外交使節団が、徳川将軍と会見。
日本と朝鮮王朝との間に国交が結ばれました。

この友好関係には一人の日本人外交官の尽力がありました。
その名は雨森芳州(あめのもりほうしゅう)。
幕府に任されて朝鮮との交渉窓口となっていた対馬藩に招かれ、外交官として活躍した学者です。
雨森は「相手の国を知らなければ血の通った外交はできない」という考えから、まず自ら朝鮮に留学してハングルを完全にマスター。
語学だけでなく、歴史や地理、風俗、人情、習慣まで詳しく研究したのです。

そんな彼の外交の基本方針は、日本人のモノサシだけで測らず、相手の心を知り、それを尊重すること。
その上で、嘘をつかず、争わず、誠実に接することでした。
そして、彼はその言葉どおりの姿勢を生涯貫き、幕府と朝鮮王朝との間に立って、その架け橋となったのです。
しかし、この歴史は江戸から遠く離れた対馬でのこと。
雨森の名前は一般的にはほとんど知られることはありませんでした。

時は移り、平成2年。
日本を訪れた韓国の大統領がスピーチで「雨森芳州の誠意と信義の外交に学びたい」と挨拶しました。
韓国の大統領からその名が語られた雨森芳州。
そのことから、彼の名は日本でも日韓友好の偉大な先人として再評価されるようになりました。