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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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4/22その町の名は「ゲルニカ」

1937年4月26日、スペイン・バスク地方の古い町が爆撃されました。
当時のスペインは、フランコ将軍の反乱で内戦の最中(さなか)。爆撃はフランコ軍を支援するヒトラーのナチス・ドイツ軍によるものでした。

町の大半が破壊され、何の罪もないおよそ1500人もの住民が犠牲になったといわれる無差別爆撃は、人道上の問題として国際的に非難されました。
そしてこのニュースをフランスのパリで知り、愕然としたのが、バスクの血を引く画家のパブロ・ピカソ。彼はすぐさま絵筆をつかみ、ふるさとの悲劇、戦争の狂気を告発する作品を描きました。
それが、破壊された町の名前をとったピカソの大作『ゲルニカ』です。

『ゲルニカ』はその年のパリ万国博に出品され、ピカソの戦争への怒りと命の尊さを思う気持ちが、見る人を魅了しました。
しかし2年後に第二次世界大戦が勃発。『ゲルニカ』はヨーッロッパの戦火を避けてアメリカに預けられます。
やがてヨーロッパに再び平和が戻りました。
ところが、スペインは戦後もずっとフランコ将軍の軍事独裁体制が続きます。
自由にものが言えない抑圧された国で暮らす人々の心を代弁したのは、やはり『ゲルニカ』でした。

とりわけ、バスク地方の、あのゲルニカの町では、自由を求めるシンボルとして、すべての家庭がピカソの『ゲルニカ』の複製画をコピーしたものや写真を隠し持ち、心の支えにしていたのです。
そして今、ピカソの『ゲルニカ』は、1977年に民主国家に生まれ変わったスペインに引き渡され、ソフィア王妃芸術センターに展示。
この絵の前に人垣の絶えるときはありません。