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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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4/1「海に咲くサクラ」

千葉県いすみ市、房総半島の太平洋側に、大原(おおはら)という港町があります。
その港に小さな石碑が立ち、そこには「海の中の桜」― 「海中桜の跡」と刻まれています。

江戸時代から大正の終わりまで、この海岸には、実際に海の上に桜の木が枝を伸ばし、春になると満開の花を咲かせていました。
といっても、海の底に桜の木が自生していたわけではありません。
きちんとした港がなかった昔は、舟が海の中に潜む岩を避けて安全に行き来できるよう、目印として杭を岩礁に立てていました。
これが「澪標」(みおつくし)と呼ばれるものです。
ところが、ここ大原では、澪標に生きた桜の木を使っていたのです。

冬に漁師さんたちが総出で山に入り、3本の山桜を切り出して浜まで運搬。
海底の岩に掘った穴に木を差し込みます。
すると、その年の春から4、5年目の春まで、海の上に満開の花が咲いたのです。
それで10年経ったら、また皆で新しい山桜を切り出すという作業を脈々と続けてきました。

なぜそんな大変なことを伝統行事として続けてきたのか?
それは、大原の漁師さんは、海だけでなく、自分たちの村の里山にも親しんでいたからです。
海の恵みをいただいて暮らしている感謝の気持ちとして、山の恵みである桜を海にもたらすようにしたのです。

それにしても、無事に漁を終えた舟に大漁旗をなびかせ、満開の桜に導かれて浜に帰ってくる― それは漁師さんたちにとって、まさに最高の花道だったことでしょう。