2/5「京助とワカルパ翁」
「金田一京助」といえば国語辞典の監修者として有名ですが、
彼自身が一生の仕事として取り組んだのは、アイヌ語の研究でした。
明治40年代当時はまだアイヌ語を研究する人もなく、
このままではアイヌの文化や言葉が失われてしまうと京助は考えたのです。
とはいえ、けっしてお金になる学問ではありません。
彼は妻と貧しい暮らしをしながら研究に打ち込みました。
あるとき、アイヌの人々の間に伝わる叙事詩『ユーカラ』の
語り部であるワカルパという盲目の老人を北海道から呼び寄せ、
3ヶ月間自宅に住まわせて『ユーカラ』の聞き取りをしました。
ワカルパの食事には塩鮭を出してもてなしますが、
京助夫婦は味噌か塩をご飯にまぶして食べるだけ。
酒好きのワカルパのためには着物を売ってでも酒を買い、
京助夫婦は食後のお茶も水で我慢する節約ぶりでした。
そしてワカルパが北海道に帰る際には、本を売り払って旅費を工面し、
冬物の着物のありったけを持たせて上野駅に見送りました。
このような苦労と引き換えに、京助はワカルパという一人の老人から
アイヌの言葉と文化の膨大な知識を得ることができたのです。
いっぽう北海道に戻ったワカルパは、京助から酒を買うようにと
持たされたお金で、酒ではなく糸を買って網を作りました。
世話になった京助夫婦のために、
せめて自分で捕った鮭を送ってあげたいと思ったのです。
年老いたワカルパはその網を持って、
家族が止めるのも聞かずに手探りで冷たい川に入っていったということです。
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