TOPページへアーカイブへ
提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
←(12/25「年賀状の復活」)
(1/15「仙台の福の神」)→

1/8「続きはまた来週」

中高年の方にとって懐かしいもののひとつが、紙芝居。
昭和30年代の全盛期には全国で5万人の紙芝居師がいて、
子どもたちを集めては紙芝居を上演し、水飴などの駄菓子を売って生計を立てていました。
そんな紙芝居もテレビの普及で減っていき、いつの間にか絶滅。と思ったら、
現在も一人、プロの紙芝居師が活躍しています。

杉浦貞(ただし)さん。
昭和55年、当時勤めていた大阪の工場が倒産したのを機に、
家族の反対を押し切り、48歳にして紙芝居師になりました。
最初は趣味のつもりでしたが、紙芝居を休んだ日、
交差点で出会った子どもたちから「小遣いためて公園で待ってたのに」と抗議されました。
また、雪が降ってきたので紙芝居を中断して帰ろうとすると、
百円玉を握りしめた少女が「水飴ちょうだい」と凍えた手を差し出したのを見て、
プロの紙芝居師として生きていく腹を括ったそうです。

以来、子どもたちの喜ぶ顔を支えに毎日、紙芝居とお菓子が入った箱をバイクに積み、
大阪市内の公園や団地を駆け巡り、80歳になるいまも上演を続けています。
いつもの場所にバイクを停め、まずは拍子木を打ち鳴らして子どもたちを集めます。
子どもたちも心得たもので、きちんと行列して順番にお菓子を買います。
そしてお楽しみの紙芝居。
小さな子は前で、大きな子は後ろで見るのが暗黙のルールです。

紙芝居の上演を終えて杉浦さんが言う締めくくりの言葉は「続きはまた来週」。
子どもたちとのその約束を果たすために、杉浦さんはきょうもバイクを走らせているのです。