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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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1/22「千町無田」

大分県の飯田(はんだ)高原に千町無田(せんちょうむた)という盆地があります。
「千の町に田んぼが無い」と書いて「千町無田」??文字通り、
ここは100年前まで田畑どころか人も住めない沼地でした。

この千町無田が開拓されたのは明治時代。
筑後川の大洪水で住まいや田畑を失った福岡県久留米の農民たちのために、
村長(むらおさ)の青木牛之助(うしのすけ)が筑後川を遡って土地を探し、
ようやく辿り着いたのが、筑後川の源流に広がる千町無田だったのです。
「ここを皆で一生懸命開拓すれば、再び豊かな暮らしができる」
青木は全財産を費やして開拓の準備をした末、
明治27年に27人の先遣隊を率いて千町無田に入植しました。

ところが、標高900mの飯田高原の厳しい寒さと原野の開墾は、苦難の連続でした。
粗末な掘建小屋には容赦なく雪が入り込み、
食べ物といえば「馬や牛のほうがよほどいいものを食っている」と嘆かせたほど欠乏。
その苦しさから脱落していく人も出ましたが、青木は皆を励ましながら悲惨な暮らしを何年も耐え、
先頭に立って開拓を進めていったのです。

いま、千町無田には美しい水田地帯が広がり、高原野菜やバラなど花の栽培、酪農も盛んです。
ここで働いている人は、この地を切り開いた開拓民の2世や3世たち。
千町無田の開拓に一生を賭けた青木牛之助の威徳、
そして先人たちの苦難の人生は子から孫へと確かに語り継がれています。