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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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12/4「ドンネル先生」

明治23年のきょう??12月4日は、北里柴三郎がジフテリア、破傷風の血清療法を発見した日です。

北里柴三郎は、ベルリンに留学し、当時のヨーロッパで流行していた
ジフテリアの血清療法に取り組み、医学の世界に一大革新を起こし、
この研究でノーベル賞候補にノミネート。
日本ばかりか世界から近代医学の先駆者として尊敬される偉人なのです。
彼は患者を治療する医者というより、予防医学の学者。
毎日研究室に閉じこもっては細菌を顕微鏡で観察する、
研究一筋の地味な人物像と思われがちですが、
じつは反面、思い切った行動をする大胆な人柄だったようです。

熊本県の小国町で生まれ育った北里は、
かなりの腕白小僧で剣術や槍の稽古に明け暮れていました。
そんな彼が医学博士になったとき、その弟子たちが付けた名前が「ドンネル先生」です。
ドンネルとはドイツ語で「雷親父」。畏敬の念をもって恐れながらも、
反面、義理と人情に厚い北里の人柄に親しみをもっていたのです。

北里は当時、内務省の国立伝染病研究所の所長でしたが、
政府は彼に何の相談もなく突然、研究所の所管を内務省から文部省に移し、
東京大学の付属施設にすると発表しました。
このことで北里は、東大側が選ぶテーマでしか研究活動ができなくなることに激怒。
辞表を叩き付け、対抗して自ら北里研究所を設立したのです。
このとき、彼の弟子の研究者たちも連座して辞表を提出。
なんと所員の全員が彼の新しい研究所へと馳せ参じましたが、
その中に守衛や用務員までが交じっているのを知った北里は、感極まって号泣したそうです。

北里柴三郎は伝染病の予防に一生を貫きましたが、
その周りにいる人たちは全員がドンネル先生??雷親父という魅力に伝染してしまったのです。