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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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11/6「日本近代医学の父、ポンペ」

幕末、幕府は西洋式の海軍の創設を目指して、
長崎に海軍伝習所(かいぐんでんしゅうじょ)を開設します。
ここに医学の教授として招かれたのがオランダ海軍の若き軍医ポンペでした。

長崎奉行所に医学の伝習所が作られ授業が開始されますが、
日本人学生は医学以前に西洋科学の知識も無く、文化の違い、言葉の壁もありました。
しかしポンペは怯むことなく、基礎から一歩一歩、
学生達に分かるように噛み砕いて根気強く教え、医学全般の指導をたった一人で行いました。

また、医師として診療にも取り組み、コレラが発生して長崎に蔓延し多数の死者を出した際には、
学生達を率いて日夜治療にあたり、多くの命を救ったといわれます。
ポンペは貧しい患者は無料で診察し、武家も町人も、西洋人も日本人も一切区別しませんでした。

幕府は、病院の必要性を訴えるポンペに応え、長崎に養生所を開院。
これが日本初の西洋式近代病院で、今日の長崎大学医学部のルーツとされていますが、
その長崎大学にポンペの言葉が伝えられています。

「医師は自らの天職をよく承知していなければならぬ。
ひとたびこの職務を選んだ以上、もはや医師は自分自身のものではなく、病める人のものである。
もしそれを好まぬなら他の職業を選ぶがよい。」

ポンペに学んだ学生達は日本の近代医学の礎として活躍。
ポンペが伝習所で初めて授業を行った11月12日は近代西洋医学教育の始まりの日とされています。