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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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11/20「君主を養う家臣たち」

福岡県の柳川を治めていた立花宗茂。
彼は西軍の豊臣方として関ヶ原の戦いに臨みますが、
戦は徳川方・東軍の勝利で幕を閉じ、立花藩は取り潰されました。
戦国時代では、藩を失った家臣たちは主君のもとを去り、再就職先を探すことが一般的でした。

しかし宗茂の家臣たちは、いくら宗茂がほかの奉公先を探すように諭しても
「私の主君は殿だけです」と食い下がって離れず、
柳川を追われて京に行く宗茂に付いていく、と言うのです。
主君といってもいまの宗茂は無職。家臣たちを養えるはずがありません。
ところが家臣たちは、だからこそ何もかも失った宗茂を自分たちが支えていこう、と考えたのです。
こうして一行は京へ出て、さまざまなことをしながら生活費を稼ぎました。
翌年には江戸に出て小さな寺にやっかいになり、
ここでも彼らはそれぞれ生活費を稼ぐために必死になって働きます。
ある者は虚無僧姿で尺八を吹いて流しながら托鉢をして歩き、
ある者は家の建て普請に加わっての人足仕事。そうして宗茂を養って暮らしたのです。

やがて、そのことは江戸中の評判になり、江戸城にも伝わっていきます。
関ヶ原では敵方だったとはいえ、
宗茂が義に厚く家臣から慕われている人物だということは家康も認めていました。
いま江戸城下でその宗茂を家臣たちが養っている……
それほどまでに部下に慕われている宗茂の人柄を、徳川幕府は見過ごすことはできませんでした。
宗茂は徳川幕府から奥州に領地を与えられて大名に返り咲き、やがて柳川に移りました。

関ヶ原で敗れた身でありながら、再び元の領地に戻れたのは、立花宗茂ただ一人です。