8/7「未来を生きる子ら」
長崎原爆資料館の前には、振り袖を着た二人の少女が空を飛ぶブロンズ像があります。
モデルとなった少女の一人は、福留美奈子(ふくとめみなこ)ちゃん。
京都に住んでいた子ですが、両親が仕事で上海に行くことになり、
長崎の親戚に預けられていたときに被爆して亡くなった女の子です。
美奈子ちゃんを預かっていた伯母さんは、
亡くなった美奈子ちゃんに戦時中は着ることが許されなかった振り袖を着せ、
同じく振り袖を着たもう一人の少女とともに火葬してもらうようにお願いし、
やがて自分自身も被爆によって亡くなりました。
この少女の火葬の様子を偶然目にしたのが、当時中学生だった松添博(まつぞえひろし)さん。
彼は日本人形のようにかわいらしい女の子が焼かれる姿が頭から離れず、
一枚の絵にして多くの人々に原爆の悲惨さを訴えました。
そして終戦から43年後。
松添さんは自分が絵にした少女たちの身元を探すことを思い立ちます。
さまざまな協力があり、美奈子ちゃんの母親が京都にいることが分かりました。
86歳になった母親の志なさんは、自分が亡くなるまでに長崎に小さなお地蔵さんを建てたいと願っていました。
この願いは京都の中学生や高校生を中心に広まり、やがて「長崎にふりそでの少女像をつくる会」へと発展します。
そして全国から募金が寄せられ、志なさんの願いは、
小さなお地蔵さんではなく、立派なブロンズ像として叶えられることになったのです。
振り袖を着た少女の像は「未来を生きる子ら」と名付けられ、
長崎の空を羽ばたきながら今も世界平和を訴えています。
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