2/6「ゆるやかなボール」
1920年、テニスのウィンブルドン選手権に日本人として初めて出場したのは、清水善造(ぜんぞう)。
学生のころからテニスを始め、その後商社マンとして働くアマチュア選手でした。
当時は、決勝の勝者が前年のチャンピオンに挑戦するチャレンジ・ラウンドという制度でしたが、
彼はこの初参加のウィンブルドンでいきなり決勝まで勝ち進んでいったのです。
その強さとともにスポーツマンシップにあふれた潔いプレイぶりが評判となり、
そのにこやかな笑顔から、観客たちは「スマイリー・シミー」という愛称をつけて清水を応援するほどの人気でした。
そして迎えた決勝の対戦相手は、全米トップの強豪チルデン。
その第3セットのラリー中にチルデンの足がもつれ、打ち返すと同時に右コーナーに倒れてしまいました。
返ってきた球を清水はどう打ち返すか・・・。左サイドへ強く打ち込めばよいのですが、
チルデンも当然その事は予想して、起き上がりざま左へ走るはず。
ならばその裏をかいて・・・。その一瞬の迷いのために、
清水が打ったボールはチルデンの倒れていた右へゆっくりと円弧を描いて飛んだのです。
起き直ったチルデンが激しく打ち返したその球は、清水のわきをすり抜けていき、
これをきっかけに清水は試合に負けてしまいました。
しかし、このプレイを観ていた観客たちには、倒れたチルデンが起き上がって打ち返せるように、
ゆっくりとした球を送ってやったと映ったのです。
それは偉大なフェアプレイとして日本にも伝えられ、学校の教科書にも美談として紹介されました。
「そんなつもりではなかった」とずっと否定していた清水選手。
その真偽はともあれ、彼はそのとき戦ったチルデンとは親友になり、その友情は生涯続きました。
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