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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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10/3「外国人が見た明治の日本」

『ジャングル・ブック』などで知られるイギリスのノーベル文学賞作家ラダヤード・キプリング。
もう1世紀以上前の人ですが、彼は当時のアメリカやアフリカ、インド、中国などを旅し、
明治22年の日本にも立ち寄っています。
その日本の印象のひとこまを、彼は手紙の中に記しています。

キプリングが京都・嵐山にピクニックにやってきたときのこと。
茶屋の一室を借りてのんびり憩っていたところ、
茶屋の女将から「ほかの客のために屏風で仕切って相部屋にしてほしい」と言われました。
相部屋という風習を経験したことのないキプリングは、不愉快な思いをしますが、
我慢して申し出を受け入れることにしました。

部屋に通されたのは、一家総出で行楽に来た人たち。
その家族が賑やかに笑い合いながら食事をする様子を眺めているうちに、キプリングは次第に目を奪われていくのでした。

食事を楽しみながら、お母さんがお祖母さんの世話をし、
一方、14歳と15歳くらいの二人の少女が8歳くらいの元気のいいおてんば娘の面倒を見ています。
さらに、その子は気が向くと、一人のむずがっている赤ん坊をあやしているのです。
そして、その赤ん坊は赤ん坊で、家族全体の面倒をみているつもり・・・・。

このようなユーモアを交えながら、キプリングは、一人一人がお互いを気遣い、
思いやる日本の家族の様子を記しています。
世界中を見聞したキプリングにとって、このような家族の姿は初めて目にするものでした。

近代化された西欧諸国に比べて先進国とはいえなかった明治22年の日本。
でも、一人の外国人作家の目から見ると、
日常の暮らしの中で慈愛に満ちあふれた気高い心をもつ日本人の豊かな心は、
他のどの国より優れた先進国だったのです。