TOPページへアーカイブへ
提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
←(7/11「帝王のやさしさ」)
(7/25「小泉八雲と妻、セツ」)→

7/18「ドイツに眠る日本人医師」

第二次世界大戦中、ドイツで伝染病の患者を救った日本人の医師がいます。
彼の名は、肥沼信次(こえぬまのぶつぐ)。

1945年、ドイツのベルリンに留学していた肥沼は、戦火から逃れるため、リーツェンという小さな町に避難します。
ところが、この町では発疹チフスが大流行。
町の医師たちは皆戦争に駆り出されていたため、肥沼はこの町のただ一人の医師として、懸命な治療にあたります。

衰弱して病院まで来ることができない患者がいると聞くと、
7キロも離れた町まで薬を届けることもあり、大勢の患者が命を救われました。
しかし翌年、チフスは肥沼の身体にも襲いかかります。
心配する看護師に、彼は最期まで「貴重な薬は患者たちに使いなさい」と言い、静かに息を引き取りました。

ドイツはその後、東西に分かれ、東ドイツの管轄になったリーツェンで、
肥沼は人々の記憶からも消え去っていくかに思われました。
しかし、1989年にベルリンの壁が崩壊。
43年ぶりにリーツェンの町の人々が自由を手に入れたときに取った行動は、肥沼の日本の家族を探すことでした。

新聞の尋ね人に何度も掲載し、ようやく肥沼の弟と連絡を取ることができたリーツェンの市長は、
1994年、弟夫妻を招待して、長年の感謝の気持ちを伝えました。

いま、リーツェンには「肥沼通り」という名前のストリートがあり、肥沼が好きだった桜の木が植えられています。
人々は、そのストリートを通るたび、勇気ある日本の医師をいまも讃えているそうです。