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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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5/3「日本のバレエの始まり」

いまや世界水準のダンサーを次々に輩出する日本のクラシックバレエ。
その始まりには、一人の外国人女性の存在がありました。

彼女の名はエリアナ・パブロバ。
ロシアの貴族の家に生まれ、バレエの殿堂・マリンスキー劇場で活躍するバレリーナでした。
しかし、1917年のロシア革命により、家族とともに祖国を逃れ、流浪の末、2年後に日本に亡命。
温かく迎えてくれた日本人に報いるため、鎌倉にバレエスタジオを開き、バレエの伝道に情熱を注ぎます。

彼女のレッスンはとても厳しいものでした。
たとえば、生徒がきつい練習に気を失って倒れると、コップの水をかけることもあったそうです。
でも、それは、日本の若者に、バレエは一朝一夕にできるものではなく、上達への道は長く厳しいことを、身をもって教えようとしていたのです。
そうして彼女の元から多くの優秀な教え子が巣立っていきました。

ところが、やがて日本が戦争に向かって突き進むと、彼女に暗い陰が忍び寄ってきました。
バレエは敵国文化だとして、白人であるエリアナは憲兵に尾行され、バレエスタジオに石が投げられるなど、嫌がらせがひどくなってきたのです。
このままでは生徒たちにも被害が及ぶことを心配した彼女がとった行動。
それは彼女自身が日本人に帰化し、さらに戦地で日本兵を慰問することでした。
中国大陸を回りながら兵士たちの心を慰めるためにバレエを踊り続けたエリアナ。
しかし、1941年に慰問先の南京で病のために帰らぬ人となりました。

戦争に翻弄されながらも生涯バレエを愛し、日本人を愛したエリアナ・パブロバ。
彼女のバレエスタジオがあった跡地には、現在「日本バレエ発祥の地」の碑が建てられています。