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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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4/19「伊能忠敬の初めの一歩」

伊能忠敬。
彼は初めて日本地図を作った人物ですが、その大きな夢を志したのは、50歳のときでした。

当時は人生50年といわれた時代。
しかも彼は測量の知識も技術も一切なく、20歳年下の天文学者・高橋至時(よしとき)に弟子入りするところからスタートします。
初めは伊能の入門を年寄りの道楽と思っていた高橋ですが、昼夜を問わずに猛勉強する姿に感心し、いつしか二人の間には信頼関係が生まれました。

そして1800年、伊能が56歳の時、北海道で測量の第一歩を踏み出します。
当時の測量は、数人が歩いて歩数の平均値を出し、距離を計算する方法。
昼はひたすら歩き、夜は数値の誤差を修正しながら集計作業に追われる毎日です。
しかも雨の日も雪の日も、海岸線の危険な場所を歩かなければなりません。
そんな伊能に、高橋は江戸から手紙を書いて励まします。
「いま、幕府はあなたの地図が完成する日を、指折り数えながら待っています」
国のため、後世のためと、老体に鞭打って測量の旅を続ける伊能。
彼が歩いた距離は、およそ4万キロで、これは地球一周分に相当します。
ようやく全国の測量を終えた後、あとは地図を作り上げるばかりというところで、伊能は残念ながら息を引き取りました。

日本地図は彼の弟子たちによって作り上げられていきましたが、その弟子たちは伊能の死を地図の完成まで隠すことにしました。
それは、伊能が完成させた地図として幕府に献上したかったからです。
ここまでこれたのは、伊能忠敬の初めの一歩があったからこそ。
その思いが弟子たちの胸に溢れていたのではないでしょうか。

きょう4月19日は、伊能が北海道の測量に出発する初めの一歩を踏み出した日です。
大きな事業を成し遂げるとき、そこには必ず勇気ある一歩があることを、日本地図は教えてくれているのかもしれません。