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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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3/22「ブータンの人々を豊かにした日本人」

西岡京治(けいじ)。
その名を知る日本人はあまりいないかもしれません。
しかし、アジアのヒマラヤの麓に広がる王国・ブータンでは、もっとも尊敬される日本人として、国民のほとんどにその名を知られています。

少年時代に戦後の食糧不足を体験した西岡さんは、農業の指導者を志しました。
そして学術探検隊としてヒマラヤを訪れた彼は、原始的な農業で食うや食わずの貧しい暮らしをしているブータンの現実を知り、農業を通じて彼らを幸福にできないかと考えました。

1964年。
彼は念願かなって海外技術協力事業団の農業指導者としてブータンに派遣されます。
しかし、外国との交流がまったくなかったブータンに、突然見知らぬ外国人がやって来て農業の近代化を説いても、誰も話を聞きません。
そこで西岡さんは、自ら小さな実験農場で作物を栽培し、その成果を見てもらう方法をとることにしました。
と同時に、積極的に村人たちに話しかけ、彼らに解け込んでいきます。
そうやって、現地の素朴な暮らしの文化に親しみ、学んでいったことで、村人たちは西岡さんに少しずつ心を開いていったのです。

やがて村人は西岡さんが身をもって示した農業のやり方に感心し、それを熱心に学び、その輪はブータン全土に広がっていきました。
2年間の活動予定だった西岡さんは、結局、28年という歳月を費やしてブータン全土の村々を回り、村人とともに水田を広げ、畑を耕し続けました。
そして1992年。彼は敗血症にかかり、ブータンの病院で59年の生涯を閉じます。
彼の葬儀には、王族や政府の要人、そして何よりも彼を慕う5000人の人々がブータン全土から弔問に集まったそうです。
国王が彼に贈った称号は「ダショー」。
それは日本語で「最高の人」を意味する敬称です。