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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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12/2 放送分 「55年のマラソン記録」

54年8ヵ月6日5時間32分20秒3。これは、オリンピック男子マラソンの世界で一番遅い記録です。

1912年、スウェーデンで開かれたストックホルム・オリンピックに日本初の代表として金栗四三(かなぐりしぞう)選手がマラソンに参加しました。
ところが、レース当日は気温が40度近くにもなり、参加者の半分が棄権する事態。金栗も走りはしたものの日射病で倒れてしまい、意識不明のまま近くの農家で介抱されます。
このため棄権の連絡が伝わらず、行方不明という記録で幕を閉じました。

その後、彼は、完走できなかった悔しさをバネに、暑さに耐える走り方など、さまざまな練習法を考案。箱根駅伝は、孤独な長距離の練習をチームで行うという彼のアイデアから生まれたものです。
このように日本のマラソン界に大きな貢献を果たすも、オリンピックでの棄権が唯一の心残りだった金栗。そこに突然、「ストックホルム・オリンピック開催55周年記念式典に招待したい」という連絡が入ります。
「あなたは、あのオリンピックのマラソンで行方不明になったまま。ぜひゴールしに来てください」

この粋な計らいに応え、彼は55年ぶりにストックホルムへ行き、その式典会場で念願のゴールを果たします。
その瞬間、「日本の金栗が、ただ今ゴール!記録は54年8ヵ月6日5時間32分20秒3。これで第5回ストックホルム大会の全日程が終了しました」というアナウンス。金栗は「この長い道のりの間に孫が5人できました」とユーモアを交えて挨拶しました。
一秒でも短いタイムを競い合うマラソンですが、こんな心温まる公式記録もあるのです。